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会社では絶対に油断してはいけない!絶対本音は話すな!

鎌倉幕府を開いた源頼朝は久安3年4月8日に生まれた。現行の太陽暦だと1147年5月16日になる。頼朝の実像は、現代ならば、「めんどうで信用ならないヤバイ上司」だった。 

 頼朝は幼い頃に流刑になり、そこから這い上がり、平家との争いに勝つほどなので、用心深い性格をしていた。

弟の義経との確執が決定的になった頃の話だ。行方をくらました義経を頼朝と部下達は血眼になって探していた。遠江(現在の静岡県)守の安田義定が状況報告で頼朝の元を訪れた。遠いところからご苦労と労う頼朝。「いくらでも呑んでくれ」と呑みに呑ませたところ、酩酊した義定は緊張も解けたのか、いろいろと喋り始める。そういえば、勝田三郎成長が京都から玄蕃助に任じられたらしいですよ、すごいですねと語った。これは頼朝の部下が公家から玄蕃寮というお役所の次官のポジションを得たという話だが、頼朝は全く興味を示さず、次々に話題は変わる。

義定が、そういえば鹿狩りをしましたとその鹿の皮を差し出すと、頼朝は上機嫌になり、義定も「頼朝様の私へのポイントがあがったかも」と酒がさらに進んだ。すると、頼朝が「そういえば、さっきの話なんだけど」と勝田成長の任官の話題を出し、あれこれ聞かれた義定が饒舌に知っていることを話すと、「私にことわりも無しに、公家から任官を受けるとは何考えてるんだ!」とこれまでの機嫌のよさはどこへやら。確かに勝田成長の件は、現代ならば、ある会社の部長がライバル会社の部長も兼務しているような状態。頼朝が激怒するのも仕方ないが、義定にしてみれば、仲間を売ったような形になり、「余計なこといっちゃったのかな」と後悔したとか。

酒を呑ませて、適当に調子を合わせて、相手から遠慮のない話を聞き出す。かなり、せこいが、頼朝は酒席以外でも、せせこましい術をつかっていた。

 

 あるとき、行平は頼朝が伊豆山神社参拝の護衛を務める。頼朝が神社の石橋を下りる時に、行平の肩を叩き、こう囁く。「おまえのことを気の置けない家臣だと思っているぞ」。こんなこといわれたら、誰でも感極まるだろう。

行平も、あの頼朝さんに俺は信頼されていたんだぞと、この出来事を書き残したわけだが、これは額面通りに受け止められない。「おまえを信頼してるぞ」は頼朝の十八番なのだ。

平家打倒に挙兵した際には前日に参加した兵士をひとりずつ呼び、「今まで黙っていたが、お前だけを頼りにしている」と全員に語ったと言われている。

 全員に「おまえだけが頼りだぞ」と声をかけるなど、今ならば、インターネット掲示板あたりで揶揄されるだろうが、情報が流通しない当時の極めて閉ざされた社会では頼朝流社交術は有効であったことがわかる。

腹を割って話したら終わり

 会社員ならば誰もが「上司は選べない」とは口をそろえる。中には源頼朝のような信用ならない上司もいるはずだ。人事異動の直後は上司と部下はお互いを探り合う。新しい上司が頼朝タイプの可能性もあることを肝に銘じ、「今日は腹を割ってはなそう」と言われても、割りすぎてはいけない。

ちなみに、頼朝に限らず、「気を遣わずに呑め、呑め」と上司が宣言する「無礼講」の酒席は昔からあったが、「無礼講」の言葉の起源は鎌倉時代末期の後醍醐天皇時代に求められるという。寵臣の日野資朝らが「無礼講」と呼ばれる宴を催したことが、「太平記」や「花園天皇宸記」に記されている。身分や地位に関係なく集まり、男たちはざんばら髪で、僧侶も肌着姿となり、女性に薄い単衣を着せて裸に近い格好で酌をさせたという。

献杯の順序に全くこだわらず、ドンチャン騒ぎに興じた。だが、実態は、宴会を隠れ蓑にした倒幕会議で、出席者たちが腹を探り合い、後醍醐天皇が家臣の忠誠をはかるために開いていたとも。「無礼講」と言いながらハメを外せないのは、やはり今も昔も変わらないのかもしれない。

無防備に、誰かや会社の悪口などをその場のノリでしゃべって、それは一部にはウケるのですが、一部の人々はとても立腹したり根に持ったりするというのも日本社会の特徴です。

自分が知らない間に、自分が話したことの断片的なことで実は恨みを買っていて。そこで戦いが起こるならばまだしも、不協和音さえ相手は出さず。そして時は経ち。

その後、もう自分はそんな、率直な発言はしないよ、なんて思った矢先に、昔に言ったことを根に持たれ、ふいうちのように何らかの不利益を返されたりします。あの人が好き、あの人は嫌い、みたいなことって実は自分の知らないところで発生していますが、コントロールするのは実はものすごく難儀なものです。

だから、仕事をするときに自分が発現する内容に、日々、不備がないかを絶えず、はじめのうちからチェックする姿勢でいるべきだと思います。目の前の集団に対しての冗談が、実は背中で聴いていた人が曲解し、あらぬイメージを持たれたりする。そんなのしようがない、と思ってもその曲解した人が後になって権力や、キーパーソンになるかもしれません。それを後になって、良い方向に向けようとしても、時すでに遅しです。

全ては時間と経験の積み重ねであり、ちょっとしたことでも、気を緩めてはいけません。ここは飲みの席だからとか、社内だから遠慮しなくていいだろう、なんてことは一切当てはまりません。何を自分が語ったかの連続で、将来の自分の評価は自然に決められていきます。

評価を決めるのは直接は上司なのかもしれないし、もしくは何らかの営業成績なのかもしれませんが、これに対して妙に影響力を持つのが「評判」です。同僚かもしれないし顧客かもしれないし、誰が何を言い出すかあいまいな存在です。彼らが将来的に自分の評価を決め得るのなら、そこで自分が何を発言するか、語弊がない表現を選んでいるか、ネガティブに取られる可能性はないか。会社にしろそうではない組織にしろ、気を抜いたら負けです。

感情に乗せて配慮のない過激な発言を連発したり、ウケをねらうあまり誤解の起こりやすい表現を好んで使ってしまったり、そういった負債は、後々になってツケを払わされます。油断大敵です。